体験談2013年

1.場所 2.大学、当時の学年、名前
3.ボランティア内容 4.感想


2013年2月


1.チーム王冠 宮城県石巻市

2.京都大学二回生 石川春菜

3.倉庫整理、漁業支援、教育支援、物資援助

4.震災ボランティアに興味はありつつも、長期間はなかなか行けないしわざ行くのも……となかなか踏み出せずにいた私。母の勧めで初めて、ボランティアとして被災地に向かいました。震災から二 が経とうとしているときのことです。 

まず驚いたのは、大学の春休みだというのにボランティアの人数の少なさ。「ボランティアブーム」は去り、風化は確実に進んでいるのだということを実感しました。

現地では、支援物資が入る倉庫の整理や、わかめの収穫の手伝い、震災で勉強が遅れてしまった子への教育支援や支援物資の配布など、様々な活動に参加させていただきました。モノがない寒い部屋、未だに泥だらけの家、仕事がなくなったという声。さまざまな方に出会い、さまざまな問題を知りました。報道などで被災地にはアンテナを張っていたつもりでしたが、それで「知ったつもり」になってしまっていたことの危うさに気づきました。ボランティアの目から見る被災地はそれほどに、復興から遠い姿をしていたのです。

なかでも印象に残っているのは、「忘れられるのが一番怖い」という言葉です。震災を忘れない。こんな言葉をよく耳にします。あなたにとって震災とは、何ですか。被災地にとっての「震災」は決して過去の話ではなく、現在進行形のできごとなんだすれば消えてしまいそうなそんな叫びに、わたしたちはどれだけ寄り添い、共に歩むことができるでしょうか。




1.チーム王冠、宮城県石巻市

2.佛教大学、3回生、山崎香穂

3.漁業支援、お茶っこバス

4.私は初めて東北を訪れ、漁業支援に携わりました。その中で現地の方やチーム王冠の方から話を聞く機会がありました。 
震災当初は、全国で何度も報道があり、被災地の現状はすぐ関西にも伝わってきました。現在は、ほとんど報道されず「もう数年経ったから復興しているだろう」と何事もなかったかのように忘れられていきます。人は足りていないということ、まだまだボランティアを必要としていること、何故それらが起こるのかを周りに伝えていく必要があると感じました。


2013年3月


1.チーム王冠 宮城県石巻市

2.京都大学二回生 大槻慶

3.ビラ配り、引越し手伝い、学習支援


4. 「ビラ配り」では、復興イベントのチラシを石巻市内に配って回りました。この復興イベントは、亡くなった方を供養するためにお地蔵さんを建立するというものでした。震災から2 が経とうとする中で、犠牲者を弔い、少しでも前に進もうとする被災地の姿を見たような気がしました。
一方で、ビラを片手に市内を回る中、至る所で震災の爪痕を目の当たりにしました。人がいなくなり静まり返ってしまった地区、基礎を残し流されてしまった家屋、そこら中に残る泥。報道が少なくなり始めた頃だったので、自分の予想と被災地の現状のギャップの大きさに驚いたのを覚えています。 
「引越の手伝い」では、津波に浸かってしまった家屋の清掃を手伝いました。穏やかな老夫婦の二人世帯でしたが、私たちのようなボランティアが引越しを頼まざるを得なかったのは、震災によって業者を呼ぶような経済的余裕を失ってしまったという背景があったようです。家具や雨戸にこびり着いた津波の泥を拭き取りながら、「あの二人はこの状態で 2 弱も住まれていたのか…」と思うと、何ともいえない悲しみがこみ上げてきました。 
日が暮れセンターに帰る間際、お二人は「(手伝ってもらって)本当に申し訳ない」と何度も何度も繰り返されました。チーム王冠伊藤代表の「誰も支援されたくて支援されているわけではない、できれば自立したいと思っている」という言葉を思い出すとともに、この震災がもたらした被災地の悲しみを実感した瞬間でもありました。




1.岩手県陸前高田市・大船渡市・釜石市、遠野まごころネット

2.同志社大学 2回、西井彩華

4.初めて東北に訪れたのは 2013年 3月。Youth for .11という団体のプログラムを通じ、1週間、遠野まごころネットというボランティア団体でお世話になりました。そこでは、陸前高田市、大船渡市、釜石市を中心に活動させて頂きました。私が東北へ行く前に想像していた現地の風景は、少しずつ建物が復建されている様子でした。しかし、現地へ行くと、その想像はまさに私の想像でしかなく、瓦礫は撤去されているものの、依然として'復興の兆し'はまだ見えませんでした。そんな中で、スタッフさんからの震災当時の町の様子、震災前の現地の写真などを見せて頂いた時は、気持ちを言葉にすることが出来ませんでした。
初めての訪問は関西にいては絶対に得ることのなかった現地の現実を知る大きなきっかけとなりました。


2013年9月


1.チーム王冠 宮城県石巻市

2.京都大学三回生 大槻慶

3.漁業支援、リフォーム手伝い、学習支援


4.前回の3月の経験から、少しでも現地にいれば手伝えることはあると思い、今回は2週間弱滞在しました。 
「リフォーム手伝い」では、30代の男性とその母親の二人暮らしのお宅のリフォームを、一週間に渡り合計3日間お手伝いしました。海から比較的近いところにあるそのお宅は、津波と流されてきた車や家屋によって一階部分と庭に大きな被害を受けました。当時の写真を見せてもらいましたが、庭には流されてきたトラックや車が何台も折り重なっていました。近くにはご遺体も多くあったそうです。また、海沿いの水産加工所から流されてきた大量の魚肉や大量のヘドロが原因で、3 ヶ月もの間町全体に腐敗臭が漂っていたと、ご主人はおっしゃっていました。
3日間を通して、家具の清掃や庭の手入れなど様々な作業を行いました。どれも一つひとつは些細な作業なのですが、それをたった二人でやるとなれば大変な日数と労力が必要となります。被災者の中にはそのような日々の作業に追われて身体を壊される方も多くおり、実際に僕が滞在している間にご主人も体調を崩されてしまっていました。 
「今日はボランティアさんに3人来てもらったので、この作業を全部自分一人でやるとなると3日以上はかかっちゃってたね」
と、最終日の作業後におっしゃっていたのが特に印象的でした。



1.チーム王冠、宮城県石巻市

2.佛教大学、 1回生、山田 純

3.漁業支援、コミュニティー復興支援、草刈、被災家屋の掃除


4.2013年の 3月と5月に旅行会社のツアーで宮城県に行ってボランティア活動に参加していましたが、 2か月間の変化の少なさに驚くと同時により多くの支援の必要性を感じ、現地ボランティア団体であるチーム王冠の活動に参加しようと思ったのがきっかけでした。
活動を終えて学んだことは、被災者の方との接し方に一番気を付けなければならないということでした。支援が必要なことはたくさんあり、活動内容も様々ですが、共通することは震災にあった人と接するということで、チーム王冠のスタッフが何度も言っていたことも、「震災で本当に大変な目にあった人に、これ以上悲しい思いをさせないで欲しい。」
ということでした。
ボランティアの人数が少ないという現状で、とにかくたくさんの人がボランティア活動に参加し、人手として役に立つことは大切なことですが、被災地や被災者のことをきちんと理解して活動に参加するということも非常に重要であり、ボランティア経験者としてこれから参加しようとする人に伝えていかなければならないことであると感じました。 





  • 最終更新:2015-01-09 15:12:56

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