体験談2014年

1.場所 2.大学、当時の学年、名前
3.ボランティア内容 4.感想


2014年2月


1.チーム王冠、宮城県石巻市

2.佛教大学、 2回生、山田 純

3.アセスメント、コミュニティー復興支援、雪かき、

4.今回参加した活動はすべて地域のコミュニティーに関係することでした。アセスメントというのは、被災状況を確認し、問題点の抽出と支援の必要性を判断することを目的としていますが、それと同時にコミュニティーの崩壊によって届かなくなった情報(行政の復興事業に関する情報や医療制度の情報など)を伝えるという役割も果たしています。また、雪かきは震災前までは地域の人々が協力して行い、お年寄りの方も周囲の協力で自宅の雪かきを行うことができていましたが、震災でコミュニティーが崩壊したことで、雪かきができないお年寄りは外出が困難になるという問題が生まれました。 
コミュニティーを再構築することができればこのような問題は解決できますが、それには非常に多くの問題があり、とても時間がかかります。その中で自分ができることは大きな問題が原因で発生した小さな問題を支援していくことであると感じました。 そのためには人手が必要ですが、ボランティア参加数は減少傾向にあり、特に冬は少ない傾向にあります。これからは現地に行って活動に参加すると同時に、現状を伝えていくことで風化を防ぎ、ボランティア参加数を少しでも増やせるような被災地以外での活動もさらに必要になってくると感じました。


2014年3月


1.岩手県陸前高田市・大船渡市・釜石市、遠野まごころネット

2.同志社大学 3回、西井彩華


4.2 度目は、2014 年 3月でした。去年と同じく遠野まごころネットさんで 1 週間お世話になり、初めての訪問から 1 年経った陸前高田市の様子を見たり、地域のお母さん方のお話を聞かせて頂いたりしました。そのとき感じたことは、まだまだ'復興している'とは言えないものの、地域の方々が自分達の町の復興に精を出して尽力しておられる姿を拝見しました。私ももし自分の町が津波にながされてしまったら…と考えるどうするだろうか、立ち直ることが出来だろうかと思うと、頑張っておられる方々には脱帽する想いがこみあげました。また、私も微力ながらもその方々の力になりたいと強く思いました。そう思い、関西からも継続的に活動すべく、この'みなと'に所属しました。



1.チーム王冠、宮城県石巻市

2.奈良女子大学、3年、大竹由里子

3.漁業支援、コミュニティセンターの開設支援


4.3年経って初めて足を運んだ津波の被害が大きかった場所、宮城県石巻市。そこで目にした風景に確かに瓦礫はなく、震災間もない頃にニュースで見ていた「被災地らしい」景色ではありませんでした。「少しは復興してるのかな?」その景色だけを見て、最初はそう思ってしまいました。しかし、たった 4 日間の活動ではありましたが、その最初の認識は間違っていたのだと思い知らされました。広がる空き地を前に聞いた言葉、「ここは最初は空き地なんかじゃなかった。あの日までは街があったんだよ。多くの人が確かに暮らしてたんだよ。今はこういう説明がないと分かってもらえないけれど」。被災地から遠く離れていると何となくのニュースのイメージで、被災地が復興をしているという感想を抱いてしまいます。でも現地は多くの問題を抱えていて心の傷は未だに深いのだということが 4 日間の中で痛いほど伝わってきました。しかしまだまだ私も知らないことばかりです。このボランティアで一番感じたのは「知った」つもりになるのが何より怖いということです。今後も「知った」つもりにならず、真摯に東北に向き合っていきたいと思いました。



1.チーム王冠、宮城県石巻市

2.佛教大学、3回生、山崎香穂

3.漁業支援、倉庫の整理

4.1年前と比べると景色が変わったと感じました。復興のためにたくさんのトラックやダンプカーが土埃を舞って行き来している様子でした。メディアを通して見ると復興しているようにみえるが、実際はまだまだ程遠い様子が分かりました。 
前回と同じ場所の漁業支援に携わったとき「久しぶりだね、また来てね」と声をかけられた時、つながりが大切なのだと感じました。家族・親戚・友達・近所と助け合うつながりはとても大切です。身近なつながりだけでなく、ボランティア活動を1回で終わらせず毎年何らかの形で続けていくことで、被災地の方々の思う「忘れられていない」という安心は、関西と東北がつながり続けるきっかけだと感じました。




1.チーム王冠 宮城県石巻市

2.京都大学三回生 大槻慶

3.コミュニティーセンター作り、漁業支援、アセスメント調査、学習支援


4.初めて被災地を訪れてからちょうど一 の参加でした。 「アセスメント調査」では、石巻市内の在宅被災世帯の方々のお宅を訪問し、生活の様子や要望などを伺ってまわりました。印象に残った声を2つほど紹介します。

1.「修理費補助の仕組みが分からない」:震災によって半壊以上の罹災判定を受けた家屋は、石巻市を通して国から修理費が出るようになっています。多くの方がこの補助金を利用されているのですが、中にはこの仕組を知らない方々もいらっしゃいました。そのような方に、この制度を紹介するのも今回のアセスメントの目的でした。一方で、実質的には半壊なのに、ちょっとした損傷の違いで一部損壊判定に留まってしまった家などはこの制度を利用できないため、「いっそのこと家が壊れてしまえばよかった」とおっしゃる方もいらっしゃいました。

2.「生活が落ち着いてきた」:この声は、自分の予想より多く伺いました。3 経って、経済的に余裕が残っている方は、実際に生活が震災前の状況に近づいていたようでした。このことをチーム王冠の伊藤代表にお伝えしたところ、「あまりに長く続く震災の傷跡に諦めてしまっている方々」や「経済的ゆとりがなく今も困窮している方々」もいるということも教えてくださりました。
この参加で最も衝撃的だったのは、ボランティア参加者の少なさでした。一 前と比べて、規模が半減していたのです。もちろん多少なりとも被災地の復興が進んでいることは否定できませんが、このボランティア数の減少率は被災地の実情に見合っていないのではないかと強く疑問に思います。


2014年5月


1.チーム王冠、宮城県石巻市

2.奈良女子大学、3年、大竹由里子

3.波板にて活動、コミュニティ再生支援事業(お茶っこバス)


4.今回のボランティアでは現地の方の声を聞く機会が何度かありました。そして思が、現地の方にとって3.11は「過去」ではなく「現在」のことなのだということです。「あの時の夢を見て眠れなくて苦しい。」こんな声が 3年経った今でも日常会話の中で普通に聞こえてくる、これが被災地です。でもそんな苦しみを抱えながらも笑顔を浮かべて一生懸命前向きに、ふるさとを次世代に繋いでいくために頑張っている方がたくさんいました。そんな方々の想いに触れて、この東北のみなさんの力に少しでもなりたい、と強く思いました。と同時に独りよがりなボランティアは絶対にしたくないと思いました。自分が「こうしたい」からするのではなく、現地の皆さんが「こうなるといいなあ」と零してくださる声を大切にしていきたいと心に誓ったボランティアでした。



2014年6月


1.チーム王冠 宮城県石巻市

2.京都大学四回生 石川春菜

3.漁業支援


4.今回は、牡蠣の養殖のお手伝いをさせていただきました。ホタテの貝殻を大きさ別に分類し、ひたすら針金に通していくという地道な作業です。これを海に沈め、牡蠣の赤ちゃんを付着させて、大きく育てていくのだそうです。7月中ごろには海に沈めないといけないということで、作業は大詰めを迎えていました。お天気のなかラジオとともに、潮風に吹かれての作業でした。

お手伝いさせていただいた漁家さんでは、津波により養殖設備が壊滅してしまったそうです。やっとの思いで再開に漕ぎついたとのことでした。また、地震に伴う地盤沈下により、以前はよく採れていた貝類が採れなくなってしまったということも伺いました。震災から3 経っても、なかなか「元通り」とはいかない現実を実感しました。

実際に経験してわかったのは、漁業にはとにかく人手が必要だということです。震災による人口流出は漁業の復興をより困難にしています。過疎化は日本では多くの自治体が直面している問題でもあります。被災地だけでなく、全国の漁業の問題として、国や自治体と連動しつつ作業の効率化・近代化を進めていく必要があると考えさせられました。



2014年9月


1.岩手県陸前高田市、遠野まごころネット

2.同志社大学 3回、西井彩華


4.みなととしての初めて打ち出したプログラムにて、2014年9月に 度目の訪問をしました。引き続き、遠野まごころネットさんでお世話になりました。陸前高田市に住まれている地域の方の活動や畑の作業を手伝わせて頂いたり、当時のお話を聞かせて頂いたりしました。 年半経っても完全には癒えることのない心の傷がうかがえました。私たちのために涙を堪えながらも話してくださる地域の方々、今現地で起こってる問題について熱心に教えてくださるスタッフさん。その方々に教えて頂いたことを私はどう周りの人に伝えていけばよいか、何が出来るのかを考え、実行することが重要だと改めて気付きました。関西にいると気づかない'当たり前'に普段から感謝することも大事だと分かりました。




1.宮城県石巻市、チーム王冠

2.同志社大学 3回、西井彩華


4.3度目まではずっと岩手県での活動でしたが、2014 年 9月に 4 度目の東北訪問として、初めて宮城県石巻市へ訪れました。 みなとでの 3日間のプログラムでしたが、短い期間にも関わらず、チーム王冠の方々のおかげで、地域の復興に携わる方からお話を伺ったり、現地の視察をさせて頂いたりしました。
岩手県、宮城県共に嵩上げや防潮堤の問題を抱えていること、地域の方々の希望する復興の形と行政が考えるそれは違うことを知りました。
地域の復興に関わる方々からお話を聞いて、私たちが'学生として'、'みなととして'、現地に本当に還元出来ることは何かを追究する機会となりました。
4度の訪問を通し、私の東北の復興を少しでも 支援したいという気持ちは大きくなり、それが私が今みなとで活動する糧となっています。
実際 に自分の目で見て、知って、感じたことは、たとえ現地から離れていたとしても、いつまでも心に留まるのだと思っています。


1.チーム王冠、宮城県石巻市

2.奈良女子大学、3年、大竹由里子

3.波板ツアー


4.初めて訪れた時から大好きになった土地、石巻市雄勝町にある波板という集落を私以外の人にも知ってみんなで支援をしていきたい、そして一度きちんと被災地についてじっくり現地で学びたい…。そんな思いでこのツアーを企画しました。そしてこのツアーで得たものは本当に大きなものでした。震災当時の話、避難所問題、高齢化問題、復興住宅問題、防潮堤問題、補助金の問題、心の問題、今後の街づくりの話、そして一般にあまり知られていない「在宅被災世帯」「みなし仮設」の話、これからの話を 改めて様々な立場の方から聞きました。多くのことを考えさせられました。ここで感じ、得たものをどうやったら京都からの支援に生かせるだろうか、どうやったらこのことを関西の人に伝えられるだろうか、聞いた話の さの分だけ本当に悩みました。今も悩んでいます。それでも、悩みながらでもその支援の形を考えていきたいとこのツアーで強く思いました。そう強く思えるのは、行く度に 会う地元の方が皆さん 優しくて本当にあったかくて素敵な方ばかりだからだと思います。 来年以降もこのツアーをしていきたいです。


1.宮城県石巻市

2.立命館大学 3回生、奥野 元

3.波板ツアー


4.みなとに参加して初めての東北訪問でした。石巻市を初めて訪問したのは 2013年 9月なので 1年ぶりの訪問となります。現地に到着してすぐに思ったことが、1年前に見た光景と何ら変わっていないということです。建物が建っていないままの土地や大川小学校、女川の漁港やガタガタなままの道路。想像していたよりも復興のスピードはとても遅いと感じました。また、波板地区などの多くの地域で震災前から問題になりつつあった人口減少などの問題が震災によってさらに拍車がかかり、重要なインフラの 1つと数えても良い“地域コミュニティ”が崩壊しつつあるという問題について現地の方からお話をお聞きし、これからの日本の将来を予言しているようにも感じました。
今回のツアーでは「見なし仮設」や「在宅避難者」等、行政にヒアリングに行っても話を伺うことができない方々の現状についてお聞きすることができたのが大きな収穫だったと考えています。今回は勉強させていただくという形でしたが、これから私たちもどうやって行動に移していくのかを考えていかなければならないと思います。次回訪問させていただく際には、「勉強」というこちらの利益だけでなく、現地の方のためになる活動をしたいと考えています。 


1.カエル塾(宮城県気仙沼市)、気仙沼高校(宮城県気仙沼市)、
陸前高田カモメネット(岩手県陸前高田市)、矢越山ひこばえの森(岩手県一関
市)、水山養殖場(宮城県気仙沼市)

2. 京都大学二回生 桑原和史

3.気仙沼高校:高校生の進路相談、教育支援 陸前高田カモメネット:花壇の
花の移植と雑草取り ひこばえの森:森林保全活動のお手伝い(下草の刈り取
り) 水山養殖場:ホタテの収穫のお手伝い


4.今回は、京都大学で主に気仙沼市を中心として活動されているホヤぼーや同好会さん主催のツアーに参加させていただき、3 泊4 日で宮城県気仙沼市と岩手県陸前高田市・一関市を訪れました。今回が僕にとっては初めての東北への訪問です。このツアーでは気仙沼市の、津波で被災した倉庫を改装してボランティアの受け入れをされている、カエル塾さんでお世話になりました。カエル塾では津波の映像や、震災当時の貴重なお話を聞かせていただきました。そのお話は、正直受け止めるのが辛く苦しいものでした。しかし、これ以上犠牲者を増やさないためにも学ばなければならないとおっしゃられていたように、少しずつでも受け入れていけたらなと思います。 
気仙沼高校では、気仙沼に住む現役の高校生たちと話しました。彼らは勉強や進路に悩む、ごく普通の高校生でした。そして、見た目にはとても明るく振る舞っていたのが印象的でした。辛く苦しい経験をした彼らには、心から幸せになってほしい。そう強く願いました。
カモメネットでは、花壇の花の移植と雑草取りをしました。カモメネットの方から震災前の陸前高田の街についてのお話を聞いて、何ともいえない気持ちになったのを覚えています。陸前高田は、街の大部分が津波に襲われました。
電柱の高さまで津波が来たというお話は、とても信じられないものでした。街も更地が多く、まだまだ復興の途中であることが改めて実感させられました。
ひこばえの森は、水山養殖場へとつながる大川の源流ともなっています。『森は海の恋人』を合言葉に、ひこばえの森の整備と水山養殖場でのホタテの収穫のお手伝いをしました。震災後、ホタテ貝を現在のように養殖することができるようになるまで、多くの時間と努力が必要であったそうです。しかし、震災以前から森が整備されていたことや、多くのボランティアの協力もあって、再びカキやホタテを養殖することができるようになりました。今回僕は、その想いの詰まったホタテ貝の収穫をお手伝いしました。海から取り出されたカゴはとても重く、そこに められた東北の方々の いが感じられるようでした。収穫作業の間、地元の方が復興への 道のりについて、お話してくださりました。この水山養殖場もまた復興の途中で、現在は仮設の工場を使われていますが、いずれ高台へと移転して 新しい工場を 再建されるそうです。 新しい 工場からも、今まで通りの美味しいホタテとカキを 届けて欲しいと願っています。 
今回東北に初めて訪問して、見聞きし感じたことはとても 撃が大きすぎて、正直今でも 自分の中で、心の整理がついていない状態です。また、実際に東北に 行ってもなお、というよりも 行ってから余計にわからないことが多くなってしまった気がします。しかし、実際に東北に 行ってみないと感じる事ができなかったことはたくさんありましたし、今僕は東北に 足を運んで 良かったと心から思っています。東北の人は皆さんとても温かく、今回の東北での 出会いは一生忘れられないと思います。だからこそ、この体験談を読んでいただいた皆さんにも 是非一度東北へと足を運んでいただきたいと思いますし、僕自身もまた東北を訪れたいと思っています。また、今回のツアーでは東北の一部の地域 しか訪れることができなかったので、他の地域へも 足を運び、今の東北が 抱える問題について様々な角度から考え、支援していけたらなと思っています。 
最後になりますが、東北はまだまだ復興の途中で、多くの問題も抱えています。震災はまだ 終わっていません。皆さんの復興支援へのご協力、よろしくお願いします。

カエル塾 https://ja-jp.facebook.com/pages/カエル塾通信/18 971895158518

陸前高田カモメネット http://www.rikuzentakata-kamome-net.jp/

NPO 人 森は海の恋人 http://www.mori-umi.org/


  • 最終更新:2015-01-10 13:44:28

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